社交界では、とにかく自分というものをなるべく蔑視し、抑圧するのが推奨されるものだが、哲学的な見地からすれば寧ろ逆だ。すなわち、自我というものは森羅万象を認識するための媒介役なのだから、何よりもまず自分の感受性をこそ最も重視しなければならぬ。これこそが、題名に掲げたデルポイの神託の本当の意味である。一般に、観念や理論、概念というものは本来間接的なものであるから、その中にどれだけひどい誤謬が含まれているかわかったものではない。これに反して、自らの肌で感じ取った直観は、錯覚による場合を除き、この世のありのままの姿を写し取ったものだ。だから、概念が直観に合わせるのでなくてはならず、その逆をいく方法をとってはならない。日常生活で言うなら、自身の底から湧き出る怒りや不満といった感情や違和感は率直に認めるべきである。間違っても、利己心の現れだなどと理由を付けて、無理に押さえ込んではならない。それは自己に対する悖徳行為であり、果ては真理に対する冒瀆でさえあるのだ。