2022年1月20日

ジョコビッチ国外退去の真相

「見せしめ」ではない

ノバク・ジョコビッチ。2021年の東京五輪で。(CC BY 4.0) Secretaría de Deportes

作家の小林信也が、『ダイヤモンド・オンライン』に寄稿した「テニス王者ジョコビッチが強制送還された理由、もはや全豪『オープン』ではない」という記事で、テニス選手ノバク・ジョコビッチ(Novak Djokovic)がオーストラリアから国外退去処分になった件について、「深い憤りを覚える」「スポーツ界の道理に背く」「アスリートに対して、著しくリスペクトを欠」くなどと、縷々るる忿懣をぶちまけている。だが、彼が「問題を提起する」というオーストラリア政府の「所業」に関しては、全く事実を踏まえていない。これでよくもスポーツ・ライターなどと名乗れるものだ。

こういうスポーツマン崩れの者には、ユウェナリスに倣って「健全な肉体には健全な精神が是非とも宿ってもらいたいものだ(orandum est ut sit mens sana in corpore sano)」という嫌みの一つでも言ってやりたくなる。

小林は入国拒否以前の事実関係を確認せよと言うが、事実関係なら既にはっきりしている。彼は

免除が認められていたはずのジョコビッチが、オーストラリアに入国する前のわずか数時間か数日の間に、オーストラリア政府が見解を変えたためではないかとも考えられる

と述べているが、これは単なる臆測に過ぎない。なぜなら、オーストラリア連邦政府は2度にわたって、過去の感染歴はワクチン接種と同等には扱えないと事前に明言しているからである。

連邦政府の書翰1通目

以前に新型コロナウイルス感染症に罹患し、且つワクチンの接種を一度も受けていない方は、接種を完了したものとは看做されません。

──連邦政府保健省が2021年11月18日付で豪テニス協会(Tennis Australia) に送付した書翰1
連邦政府の書翰2通目

ご質問の件について、過去6箇月以内に新型コロナウイルス感染症に罹患したことのある入国希望者のうち、薬品・医薬品行政局(TGA)が承認または認可したワクチンを2回とも(またはジョンソン・エンド・ジョンソン社のワクチンを1回)接種していない方は、接種を完了したものとは看做されないということになります。

──連邦保健相グレッグ・ハント(Greg Hunt)が2021年11月29日付で豪テニス協会に送付した書翰2

注意しなければならないのは、連邦政府とは別に、大会開催地のメルボルンがあるビクトリア州が、独自に入境者を隔離するかどうかの判断基準を設けていることである。州政府は、過去6箇月以内に感染歴があれば海外からの入境者の隔離を免除すると、昨年12月豪テニス協会に通知している3

ところが、大会主催者の豪テニス協会(Tennis Australia)は、この2つの通達を混同し、あたかも過去6箇月間に感染歴でワクチン接種が免除されるかのような通達を選手側に出してしまった4。当然ながら、いくら州政府が未接種を容認していても、連邦政府が認めていなければ入国のしようがない。しかも、州政府は入境後の隔離を免除すると言っているだけであって、未接種でも入国できるとは言っていない。

ここで、そもそもなぜジョコビッチに査証が発給されたのかという疑問が残る。ジョコビッチ側は発給申請時に、豪テニス協会とビクトリア州保健局とが作成した「免除」に関する書類をオンラインで提出している5。上述のとおり、これは州境に入った後の隔離免除を指しているのであるが、査証発給は自動で行われており、また感染時には一時的に接種を延期することを連邦政府が認めていることもあって、何事もなく発給されてしまったのではないかと推察される。

なお、オーストラリアの裁判所は一度ジョコビッチの査証取り消しを無効にしたが、これはあくまでジョコビッチ側に異議申し立ての期間が十分に与えられていなかった手続き上の瑕疵によるもの6であり、過去6箇月間に感染が確認されていれば接種を免除されるというジョコビッチ側の主張が認められたわけではないことに留意されたい。

いずれにしても、一番の落ち度は連邦政府からの通知を選手側に明確に伝えていなかった主催者にあるから、選手らは不満があれば主催者側に補償などを求めるのが筋であろう。

その後、入国前14日間における海外渡航の事実を申告していなかったなど、ジョコビッチ側の入国手続きに不備があることが発覚し、連邦政府は再び査証を無効化。ジョコビッチ側は再び裁判所に異議を申し立てるも認められず、国外退去処分となった。

豪モリソン政権に他意があったのかどうかは不明だが、ウイルスに感染してから症状が出るまで最長14日かかるといわれているから、処分は疫学的な観点からも妥当な判断である。少なくとも外面的に見れば恣意的なものとはいえない。初回の対応についても事前に通告している上、その後もデュー・プロセスに沿っているのだから、連邦政府が非難される謂れは全くない。

それに対して小林は「ローカル・ルール」という卑称を用いた上、「『最高儀礼』で歓迎」せよと言う。これを思い上がりと言わずして何と言えよう。オーストラリアに対する侮辱であるし、公平公正を犠牲にする暴言である。公共の利益を前に、「スポーツ界の道理」が一体何だというのか。こういう醜悪な選民意識があるから、スポーツ界隈はいつまで経っても 顰蹙ひんしゅくを買っているのだ。

「苛酷な規制を受け入れて生活している」のは、市井の人も同じである。


1. Ashleigh Gleeson (NCA NewsWire) ‘Novak Djokovic: Greg Hunt’s letter to Tennis Australia about medical exemptions revealed’, news.com.au, 10 January 2022.
2. Ibid.
3. Paul Sakkal, ‘Leaked letters: Federal authorities advised vax exemptions were Victoria’s responsibility’, The Age, 9 January 2022.
4. 平野美紀「ジョコビッチ、ワクチン接種を巡る入国ドタバタ劇の真相【前編】豪入国拒否から一転、裁判で勝利」、『WorldVoice』、2022年1月11日。
5. 平野美紀「ジョコビッチ、ワクチン接種を巡る入国ドタバタ劇の真相【後編】感染による免除が承認されたのか」、『WorldVoice』、2022年1月11日。
6. ジョコビッチが勝訴 豪入国拒否問題、裁判所が解放命令」、『AFPBB News』、2022年1月10日。