2013年12月24日

「お前が言うな」と言う人々

ごみ溜めから掃き出したからといって、ダイヤモンドを卑しめることがあろうか


昨日、「BLOGOS」で「『誰が言ったか』ではなく『何を言ったか』に着目すべき」という趣旨の記事を見かけた。「あの人が言っているから正しい」と考えることの不毛さを説いたものだったが、如何せん執筆者自身の普段の発言が信憑性にもとるものであったために、コメント欄には「お前が言うな」、「ブーメラン」という非難が相次いだ。

「あの人が言うなら」「お前が言うな」は、論理学ではそれぞれ「権威による論証(ipse dixit)」、「『お前だって』論法(tu quoque)」と呼ばれ、いずれも詭辯である。両者とも、それを持ち出す者が自分で検証するという作業を怠っていることに起因している。だが、権威ある者の言葉を引用することは、正しいことであるとの証明にはならないし、発言の主が愚者であることは、その内容が誤っていることの反論にはならない。

発言者の属性や特徴に惑わされず、発せられた言葉を自らの思考でもって批判的に検証することが重要なのに、彼らはそれを抛棄するという怠慢を犯している。権威を無批判に受け入れたり、あるいは愚者の言葉だからという理由で全て斥けたりする連中は、とどのつまり物事の真理などどうでもよく、相手を言い負かしたり他人を貶めたりすることばかり考えている卑劣漢なのである。

世人の大多数が道徳的には邪悪で、知性などろくに具えていないことの良い例証である。

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