「国外でテロリストに捕えられた自国民を政府は救助すべきだ」と主張する者は、国家の機能を理解していない。とは言っても、日本国内で「自己責任」を唱えている者たちに向けられているような批判は御免蒙る。あの連中は自分たちの属する民族的な誇りしか取り柄のない無頼漢だから、今般の人質事件によって現政権が推進する「積極的平和主義」が否定されるのを防ごうと躍起になっているだけである。そうではなく、国外の自国民まで保護するのは国家としての本来の役割を越え出ていると言いたいのだ。

国家に対してはいろいろと批判が向けられているけれども、実はその機能はたった2つしかない。第一は、構成員同士が相争わないようにするために、法を整備して国内の秩序を保つこと。第二は、軍事力の行使によって、外敵の攻撃から自国を守ることである。この2つの役割を果たすため、国家には強制力(警察、軍隊、法機関など)を独占的に所有する権利を有する。かかる権利は統治権すなわち主権と呼ばれる。上で述べた以外に国家の役割はあり得ない。国家を国家たらしめているのは、外でもないこの主権の存在だからである。

国家の構成要件は、その主権と領域(領土、領海、領空)、そして人民であるが、これはそのまま統治権が適用される対象と範囲とを示している。すなわち、ある国家の統治権は、ある一定の領域内の人民に対してのみ適用されるのである。

要するに、国家とは単なる局地的な防衛施設だということである。国境線は、その防衛施設としての国家の責任分界点である。よって、船舶や航空機などの場合を除き、国外にいる自国民の保護は、国家の責務の範囲外ということになる。件の人質事件で、もし誰かの責任を追及するのならば、それは国内の秩序を維持できなかったシリア政府の責任であって、日本政府の責任ではない。尤も、外国の政府が他国民の安全を保障しているとは限らない。しかし、日本政府が外国政府に日本人の保護を強制する権利はない。だから、渡航する自国民に対して、政府は勧告をすることしかできないのである。

因みに、仮に国家が国外の自国民まで保護すべきだとして、その責任を果たせるだけの能力が欠ける場合に、国民の安全確保を理由として渡航を制限することは認められよう。だが、上述の通り国民の保護責任は国境線の内側に限られるから、国民にはそのことを認識させた上で、渡航の自由は全面的に認めるべきだ。したがって、旅券は取り上げるべきではない。