先日元首相の安倍晋三が「日銀は政府の子会社」と発言して物議を醸した。だが、筆者がここで指摘しておきたいのは、中央銀行の独立性云々ではなく、政府と中央銀行とを合わせれば実質的に政府の借金はなくなるという説が未だに信じられているということである。この説は「内部留保課税」と同類のもので、これを主張する者たちは基本的な会計の仕組みがわかっていない。

この「統合政府バランスシート」で日本の財政問題が解決すると主張している代表的な論者の一人が、嘉悦大学教授の髙橋洋一であろう。髙橋は、大蔵省時代に自分が最初に政府のバランスシートを作ったが、約10年間お蔵入りにされたと自画自賛した上で、現代貨幣理論(MMT)譲りのいかがわしい風説を流布している。

彼らは、「借金」だけを見て騒いでいるのである。 大事なのはグロスではなくネット、つまり負債の総額ではなく負債と資産の差し引き額だ。バランスシートの右側の数字から左側の数字を引いてみると、本当の財政状態が見えてくるのである。

たしかに政府の債務残高1000兆円はGDPの2倍だ。ただ一方で、政府には豊富な金融資産がある。さらに政府の「子会社」である日銀の負債と資産を合体させれば、政府の負債は相殺されてしまう。したがって、増税の必要も歳出カットの必要もない。じつに単純な話である。11. 髙橋洋一「たった一つの表でわかる『日本に財政問題はない』」、あさ出版、「NEWSCAST」、2021年12月3日。

その程度の認識で作ったバランスシートなんぞ、お蔵入りにされて当然だろう。取引の二面性という会計の基本原理を踏まえていない短絡的な結論である。安倍の考えも基本的には髙橋の受け売りと見ていい。

断っておくが、政府と中銀とを一体的に見る「統合政府」のアプローチは、国際通貨基金(IMF)の財政モニターにも取り上げられているもので、それ自体は特段おかしな見方ではない22. IMFも、合算したバランスシートをもって国債償還が可能だとする見方を否定している。International Monetery Fund, ‘IMF Fiscal Monitor: Managing Public Wealth’, October 2018, p. 2.。だが、合算したバランスシートを読み解くにあたっては、取引の漏れや重複を見逃さないよう十分な検討を要する。髙橋の主張はその点で致命的な誤謬に陥っている。

なるほど政府と日銀とを合わせた「連結」貸借対照表で見れば、左右の貸借に国債があるので実質的に相殺できるかに見える(下図青線)。だが、その国債に見合う資金の流れはどうか。日銀は民間から国債を買い上げる以上、購入した分だけ各市中銀行の当座預金が日銀の貸方(負債側)に計上されることになる。この当座預金は当然我々国民の銀行預金が原資である。更にこの原資は、元を辿れば政府が国債発行で賄った歳出分にあたる債務超過額に行き着く(下図赤線)。

したがって、日銀と政府とで相殺して国債をなくせというのは、国民の預金を召し上げて政府の債務返済にあてがえと言っているのと同じということになってしまう。33. 五十嵐敬喜「統合政府という幻想」、『日本経済新聞』、2017年6月20日。

つまり「統合政府で借金消滅」論は、貸借双方の国債にのみ着目し、その裏付けとなる資金、債権及び債務の流れが存在していることを見落としているのである。下図を見れば、実際には政府の債務が日銀の債務に付け変わっているだけだということがわかる。

今は超低金利なので見えにくくなっているが、この状態で将来利上げの局面になると、日銀の当座預金に対する金利負担が増大するというリスクもある。その負担を補塡するのは結局国庫であり、税金である。

繰り返すが、あらゆる取引には常に2つの側面が伴っている。その二面性を活かした、合理的かつ精巧な仕組みこそ会計の神髄である。それを踏まえれば、「統合政府で捉えれば負債はなくせる」というのがいかに荒唐無稽な言説かが理解できよう。

結局のところ、「統合政府バランスシート」は放漫財政を正当化する言い訳でしかないのである。