2022年5月13日

政治に経済政策は欠かせない

大衆の生活安定が政権維持の要諦

アウトバーン起工式で演説するアドルフ・ヒトラー(1934年)(CC BY-SA 3.0 DE) Das Bundesarchiv

どんな人間も、自分の生活が第一である。アブラハム・マズローによる欲求の階層説を引き合いに出すまでもなく、誰しも自らの生活の安定が実現できなければ、それ以上の抽象的な理想の追求は覚束ない。したがって、政権を担う者は、まず経済政策に最優先で取り組み、国民の生活を保障しなければならない。

自由民主党の安倍晋三が数々の疑惑を追及されながらも、憲政史上最長の長期政権を打ち立てることができた理由が、「アベノミクス」と呼ばれる大規模な金融緩和策にあることは論をたない。安倍の在任期間中、日経平均株価は約1.6倍に上昇し、ドル/円相場も25円上昇した。完全失業率も民主党政権時代の4.3パーセント(2012年7月)から2.4パーセント(2020年1月)に低下11. 総務省統計局「労働力調査」、長期時系列データ(表1、a-1・主要項目)。し、有効求人倍率は0.68倍(同)から1.45倍(同)に改善22. 厚生労働省「一般職業紹介状況(職業安定業務統計)」、有効求人倍率(第3表-2・パート除く一般)、「e-Stat」。した。

ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)のヒトラーはナショナリズムの煽動と演説の手法とで大衆の心を摑んだと言われているが、実はその大衆の支持はヒトラーの経済政策に負うところが大きい。第一次大戦の敗戦に伴う賠償金と世界恐慌とによって、1930年代のドイツは深刻な不況に陥り、失業者数は約600万人、ドイツ国民の実に3人に1人が職を失うという状況であった。その対策としてヒトラー政権は、格安の国民車フォルクスワーゲンの設計をポルシェに依頼し、また高速道路アウトバーン建設などの大規模な公共事業に着手した。この政策が奏功し、ドイツの失業者数は1939年には50万人以下にまで激減した。33. 「ヒトラーの野望」、『映像の世紀』第4集(NHKスペシャル)、日本放送協会、1995年。

ヒトラーが政権を握っていた当時、ドイツ国内にナチスの正体をいぶかる人々がいなかったわけではない。しかし、あるナチスの支持者は、疑念を差し挟む者に対して「ヒトラーが成し遂げたことを是非見てほしい。我々は今ではまた以前のように大したものになっているんだから」と反論したという44. 同上。いくら辯の立つヒトラーであっても、仮に上記の実績がなければ、あれほどの熱狂的な支持を得ることはなかったのではないか。

ところが、立憲民主党を筆頭に、日本の野党はこの道理がわかっていない。彼らの言うことといえば、護憲だの環境だのジェンダーだの移民だのといった、実生活とかけ離れた話題ばかりで、たまに出す経済政策もだいたいが「再生可能エネルギー100パーセント」などの空理空論である。彼らの支持層である知識人や文化人などの有閑階層向けならそれでもいいが、全国民を対象とする場合はそうはいかない。貧困にあえぐ階層にとって、彼らの話題は奢侈品しゃしひんでしかない。政権批判のつもりで理想や価値観の話をしても、生活に余裕のない人々の目には「善性」の衒示げんじ的消費に映り、自分たちの生活が侮蔑を受けているとの反感を生ぜしめる。

各階層がそれぞれ自らの立場に拘泥し、社会を一つの単位として捉える視点を失ったことこそ、今日世界を席捲しつつある分断社会の主因である。ベトナム戦争さなかの1960年代のアメリカでは、コロンビア大学やカリフォルニア大学バークレー校などを代表例とする学生運動が展開された。ところが、全米に広がる反戦運動や公民権運動に異議を唱えたのが、保守派層の人々であった。共和党のリチャード・ニクソン(Richard Nixon)は彼らの支持を得て、1969年大統領に就任した。ニクソン支持派には所謂いわゆるブルーカラーの人々が多く、大学生のように徴兵猶予の特権を得る機会もなく、戦場に送られる人々の多い階層であった。あるニクソン支持派の労働者は、国内の反体制運動に対して、次のように述懐したという。

あの金持ち連中の息子たちは、うまいことやって徴兵を逃れて、反戦だなんてやりたい放題だ。まるで自分たちが国を動かしているかのようだ。奴らが抗議する権利のあることは認める。しかし、星条旗をけがすような行為は、絶対に許すことはできない。55. 「ベトナムの衝撃」、『映像の世紀』第9集(NHKスペシャル)、日本放送協会、1995年。

目下欧米で広まるポピュリズムは、何も今に始まったことではない。これはニクソン支持派と同じく、貧困層に対する想像力を欠き、政治的妥当性ポティカル・コレクトネスなどの尖鋭化した政策にうつつを抜かす急進勢力に対する反動なのである。


1. 総務省統計局「労働力調査」、長期時系列データ(表1、a-1・主要項目)。
2. 厚生労働省「一般職業紹介状況(職業安定業務統計)」、有効求人倍率(第3表-2・パート除く一般)、「e-Stat」。
3. 「ヒトラーの野望」、『映像の世紀』第4集(NHKスペシャル)、日本放送協会、1995年。
4. 同上。
5. 「ベトナムの衝撃」、『映像の世紀』第9集(NHKスペシャル)、日本放送協会、1995年。