ロシアを入国禁止になった日本の国会議員の中に日本共産党委員長の志位和夫が含まれていたことに、鬼の首を取ったかのように嬉々としている者がいるようだ。

これは、いい年をしてものを知らない大人、という笑い話ではない。共産党を含む左翼の過去に関する記憶が、一般大衆にいかに欠落しているかを示すものであり、憂慮すべき事態である。

左翼の近代史の詳細については他に譲るが、共産党が過去に殺人やテロを起こしていたことを知っている者が、果たしてどれだけいるだろうか。今や絶滅危懼種となっている社民党の前身たる社会党が、かつては自民党と比肩する勢力であったことを知る者は、どれだけいるだろうか。共産党と社会党との違いを説明できる者は、どれだけいるだろうか。

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マルクス主義者たちは、舌を巻くほど、正体を隠したり噓をついたりするのが上手である。大衆の無知を見透かしてか、最近はマイノリティーやらジェンダーやら、「困っている人たちの味方」を演出することにやけに熱心になっている。

しかし、過去を振り返ればわかるように、基本的にマルクス主義、共産主義というのは政府の顚覆を目指す思想である。通常、社会に変革を起こそうとするなら、あらかじめ定められたルールに則って行うのが順当なやり方というものだが、マルクス主義者たちはそうは考えない。定められたルール自体が既得権益の産物なのだから、そんなものに従う道理はないと捉える。その歪んだ思想から、彼らは必然的に暴力性を帯びることになる。経済学者の小泉信三(1888―1966年)はその生態を「憎嫉ぞうしつ」と形容した。とどのつまりマルクス主義とは、被支配者層にくすぶる不満、支配層への怨恨と嫉妬心──ニーチェの言葉で言えばルサンチマン──を手玉に取ったイデオロギーであった。既得権益に対する反抗という意味で、現在欧米で猛威を振るっているポピュリズムも、実はマルクス主義と根は同じだといえる。

だが、マルクス主義がポピュリズムと異なるのは、詭辯に詭辯を重ねた理論めいたものをまとい、いかにも精緻な学問の姿をして、いまなおアカデミアに巣くっていることである。そして、アカデミアによってこしらえあげられた瘴気しょうきが、いま大衆を再び眩惑しようとしている。マルクスの『資本論』が持ち上げられているのはその好例である。

左翼の過去が忘れ去られようとしているいま、我々は明らかに危険な段階に差しかかっている。