2023年7月22日

「 #好きな人同士で結婚できないのはなぜですか 」

内心の自由を侵害するおそれ

名古屋レインボープライドにて(2023年6月) (CC0)

これは、「同性婚」の実現を訴え、全国で集団訴訟を手がける弁護団でつくる公益財団法人Marriage For All Japan──結婚の自由を全ての人にが、ソーシャル・メディアで掲げたキャンペーンのハッシュタグである。

こういう標語を掲げるあたり、「同性婚」を推進する者らは何か根本的な思い違いをしていないか。役所の窓口で婚姻届を提出するのが、まるで教会の聖職者の面前で誓いの言葉を述べて接吻するに等しい行為だと言わんばかりである。

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2013年4月にニュージーランドで同性同士の婚姻が法制化されたとき、当時の議会議員が「愛し合う二人の人間が、結婚という形で認められるように」と演説したことは、日本の新聞でも取り上げられた11. 藤原学思「NZの同性婚法制化10年──社会は変わらず、政治家の意識が変わった」、『朝日新聞』2023年2月12日(2023年7月17日閲覧)。。だが、愛し合う者らのためにという文句は、聞こえはいいけれども、自由主義の観点からは看過できない発言である。

なぜなら、愛情は個人の内心の問題だからである。それが婚姻を認めるべき理由なのだとしたら、国家による思想信条への干渉を許すことになってしまう。「同性婚」を推進する者らは、婚姻制度を異性間に限定する理由として「自然生殖可能性」を念頭に置く国の主張を差別的だとか侮辱的だとか言うが、愛情を法の運用に介在させることの懸念について、より慎重になるべきである。

そもそも恋愛結婚自体、歴史的に見れば近代になってからのものである。恋愛と婚姻との間に必然性があるわけではない。

国家とは、万人のエゴイズムに立脚して、それが逸脱しないように適切に管理することを目的に創設されたものである。不正を行わないことが個人から見た正義だとしたら、不正を蒙らないことが国家から見た正義といえる。このように、国家は消極的判断に依拠して正義の実現を図っているのである22. アルトゥール・ショーペンハウアー(西尾幹二訳)『意志と表象としての世界III』(中公クラシックス)、85―87頁、2004年。。よって、婚姻制度も専ら身分上ないし財産上の権利を整理するために存在すると考える外はない。それはちょうど、登記や特許が特定人に法的な地位を与えて保護するのと同じ作用である。これ以外の動機による法の運用は、全て国家の本来の機能を毀損する。

法の原理を好意や博愛に置く倒錯によって制度が改められるようなことは、決してあってはならない。

 

1. 藤原学思「NZの同性婚法制化10年──社会は変わらず、政治家の意識が変わった」、『朝日新聞』、2023年2月12日(2023年7月17日閲覧)。
2. アルトゥール・ショーペンハウアー(西尾幹二訳)『意志と表象としての世界III』(中公クラシックス)、85―87頁、2004年。



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