2023年10月29日

性別の変更はより困難になる

性同一性障碍をめぐる最高裁の粗放な判断


性腺摘出の外科的処置を性別変更の要件とする性同一性障害特例法の規定について、最高裁判所大法廷が違憲で無効との決定を下したことで、今後の性別違和解消の手順はより混迷を深めることになる。

現在の性同一性障碍に対する診療は、日本精神神経学会のガイドラインに則り、精神科領域における治療と身体に対する治療とに分けられる。まず精神科領域の治療として、性同一性障碍の確定や精神的支援などを実施した後、性別違和がなお著しい場合に、ホルモン療法や乳房切除術、性別適合手術などの身体的な治療を行うこととなっている。身体的治療の順序は問わないが、実際にはホルモン療法を始めてから性別適合手術を行う場合がほとんどである。11. 「私たちの取り組み──性同一性障害」、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科泌尿器病態学(2023年10月28日閲覧)。

大法廷は今回、特例法制定時から医学が進展したことにより、「必要な治療を受けたか否かは性別適合手術を受けたか否かによって決まるものではなくな」ったとした22. 最高裁判所令和2年(ク)第993号大法廷決定、9頁、2023年10月25日(2023年10月28日閲覧)。。また、性同一性障碍への理解が広がり、「その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われている」ゆえ、妊孕性にんようせい(生殖機能)を温存したまま性別変更が可能となったとしても「急激な変化」は起こらないと結論づけた33. 最高裁判所令和2年(ク)第993号大法廷決定、8頁、2023年10月25日(2023年10月28日閲覧)。。これらを踏まえた上で、規定による制約の相当性を身体への侵襲を受けない自由と較量すれば、手術を要しない者にも「過酷な二者択一を迫る」もので、著しく均衡を破るものだと判断した。

性同一性障碍への身体的治療に伴う変化は不可逆性を伴う。そのため、精神科領域の治療を行う段階から、他の精神疾患との鑑別も含めた慎重な検討がなされる。換言すれば、一口に性同一性障碍と言っても、性自認と身体上の性別との間の乖離の度合いによって、精神的支援に留まる軽度のものから身体上の性別変更に至る重度のものまで、その様態は千差万別ということになる。このうち、身体上の性別変更のみが社会への影響をもたらすから、法はこの部分にのみ対処が必要となる。よって、「必要な治療を受けたか否かは性別適合手術を受けたか否かによって決まるものではな」いという大法廷の判断は粗放なものと言わざるを得ない。「必要な治療を受けた」ことと「性別変更を認めるべき」こととは別個の問題だからである。そもそも身体上の性別の変更を強く望むほど違和が深刻な者を救済するのが特例法の目的であるのに、手術が必要でない者にまで戸籍上の性別変更を認めるのは、性同一性障碍の定義を骨抜きにするものであり、更には性別そのものの定義をも不明瞭にするものである。

このたび性腺摘出要件の規定が無効となったことで、今後危懼されるのは、法律上の性別と生物学上の性別との間で齟齬が生ずること、そして生来の性機能による子の出生により、民法など法的秩序が混乱に陥ることである。ホルモン療法は妊孕性を一定程度制限はするものの、完全に喪失させるものではない。この点について、「問題が生ずることは、極めてまれ」44. 最高裁判所令和2年(ク)第993号大法廷決定、8頁、2023年10月25日(2023年10月28日閲覧)。とした最高裁の判断は、より踏み込んだ検討を怠っており、極めて無責任である。性別の定義は、出生を伴うものであるゆえ、本人だけの問題では済まされない。妊孕性を伴った性別変更を一定の蓋然性の下に是認することは、末代に及ぶ影響をあまりに軽視しているとのそしりを免れない。

今回の判断で身体への侵襲が重視されたことにより、今後の性同一性障碍の診断はより厳格なものとならざるを得ないだろう。妊孕性の喪失が性別変更要件であるのは勿論、精神科領域の治療だけでなく、身体的治療を受けていても性腺摘出に至らない様態では、診断そのものが認められないことになるかもしれない。それは、決して小さくはない代償を当事者たちに負わせることになるはずである。

 

1. 「私たちの取り組み──性同一性障害」、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科泌尿器病態学(2023年10月28日閲覧)。
2. 最高裁判所令和2年(ク)第993号大法廷決定、9頁、2023年10月25日(2023年10月28日閲覧)。
3. 最高裁判所令和2年(ク)第993号大法廷決定、8頁、2023年10月25日(2023年10月28日閲覧)。
4. 最高裁判所令和2年(ク)第993号大法廷決定、8頁、2023年10月25日(2023年10月28日閲覧)。



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