近代の狂気か、それとも通時的病理か

現代の国際社会を見渡したとき、東アジアという地域が描く政治的社会的景観には、ある種の「異形さ」が付きまとっている。西欧を発祥とする自由民主主義や基本的人権の尊重という価値観が世界標準として語られる一方で、この東アジアの地においては、個人の尊厳が共同体や国家という巨大な権力機構の前に容易に、あるいは進んで無効化される光景が繰り返されてきた。

最も極端な形で現れたのが、戦前の日本における「国体」論に基づく軍国主義体制、そして現代の北朝鮮における「首領」を中心とした世襲独裁体制である。昭和初期の日本は、天皇を現人神あらひとがみとし、国家を一つの巨大な「家」に見立てる家族国家観、国体思想を狂信した。そこでは、滅私奉公、すなわち「個」を完全に否定して「国」に尽くすことこそが至高の道徳とされ、青年たちは万歳を叫びながら特攻機で敵艦へと体当たりしていった。個人の自由や幸福の追求は「非国民」の思想として徹底的に圧殺された。

翻って現代の北朝鮮を見れば、マルクス―レーニン主義という西欧発の共産主義思想を標榜しながらも、その実態は金一族による三代の世襲と、首領への絶対服従を強いる世界で最も過激な全体主義体制である。国民は幼少期から首領への絶対的な忠誠を叩き込まれ、国家という巨大な共同体の前で一個人としての権利を完全に剝奪されている。共産主義という近代的な鍍金めっきの下に隠されているのは、中世の絶対王政をも凌駕する、歪んだ精神的統治構造である。

さらに、経済的成功を収めて超大国となった現代の中国においても、習近平一強体制による言論統制や、国家の意志が個人の自由を圧倒する超監視社会が構築されている。台湾や韓国、そして戦後の日本は民主化を遂げたものの、その社会の深層には、依然として個人を共同体に埋没させようとする強い重力が働いている。

これらはすべて、それぞれの国が近代化の過程で偶然惹き起こされた固有の不具合に過ぎないのだろうか。それとも、この地域に住まう人々の精神の奥底に、時代や政治体制の変遷を超えて通底する病理が存在するのだろうか。筆者は、その精神的病理の根源こそが、二千五百年前に生きた思想家、孔子に端を発する儒教の歴史的変容、すなわち「孔子の呪縛」であると考えている。

滅私奉公を駆動する「家父長制」の精神構造

なぜ東アジアの人間は、これほどまでに「私」を滅ぼし、「公」に奉じようとするのか。その精神的基盤を支えているのが、儒教が社会の隅々にまで埋め込んだ家父長制的秩序である。

儒教の倫理において、社会の最小単位は個人ではなく家族である。そして、その家族を支配するのは絶対的な権威を持つ「父」である。子は親に対して絶対的な服従と敬愛を尽くす義務があり、これを「孝」と呼ぶ。この「孝」の論理が、国家というマクロな空間へとスライドされたとき、国家の支配者は「国民の父」となり、国民が支配者に尽くす義務としての「忠」へと昇華する。すなわち、国家とは家族の拡大版であり、統治者への服従は、家庭内における父親への服従と同じドメスティックな倫理によって正当化されるのである。

西欧的な近代市民社会においては、独立した個人が社会契約を結ぶことによって国家が成立すると考える。したがって、国家が個人の権利を不当に侵害すれば、個人は国家に対して抵抗する権利を持つ。そこでの「公」とは、個人の「私」を守るための手段とされる。

しかし、儒教的なメンタリティーが支配する空間では、「公」は「私」の上位に位置する絶対的な正義であり、概念の出発点である。個人は共同体(家、国家)から分出された不完全な破片に過ぎず、共同体に奉仕することによってのみ、その存在理由を獲得する。このような構造下では、「私」の利益や幸福を主張することは、それ自体が道徳的な「悪」あるいは「利己主義」として指弾されることになる。戦前日本の滅私奉公というスローガンは、まさにこの儒教的家父長制のロジックが、近代の軍国主義国家によって極限まで純化され、動員された結果に外ならない。

この精神構造は、形を変えて現代の東アジア社会にも引き継がれている。企業の不祥事を隠蔽するために個人の良心を犠牲にするサラリーマン。部活動での理不尽な上下関係を「伝統」として受け入れる若者たち。あるいは「空気を読む」ことを強制し、突出した個人を叩き潰そうとする社会の同調圧力。これらはすべて、個人よりも共同体の秩序を絶対視する滅私奉公の現代的発現であり、私たちの日常に潜む目に見えない呪縛である。

道徳から統治システムへの書き換え

とはいえ、孔子が本来説いた原始儒教と、後世の統治者たちによって政治利用された体制教学としての儒教との間には、決定的な乖離がある。本稿において「孔子の呪縛」と呼ぶものの正体は、孔子という一個人の思想そのものというよりは、その思想が歴史の過程でドラスティックに書き換えられ、絶対的な服従を強いる「統治システム」へと改造されていったプロセスにある。

孔子が春秋時代の混乱期に生み出した本来の思想は、身内への自然な愛(孝、悌)を原点とし、それらを社会全体へと広げていく「仁」の道徳であった。孔子が理想としたのは、武力や刑罰によって民を抑えつける法治ではなく、指導者が自らの人格を磨くことによって民を心から心服させる徳治にあった。さらに、孔子の思想を継承した孟子は、統治者がその「徳」を失い、民を苦しめる暴君と化したならば、天命はあらたまり、その統治者は放伐を免れないという易姓革命の論理を明確に打ち出していた。つまり、原始儒教における「服従」とは条件つきのものであり、統治者側にも絶対的な道徳的責任を求める、双方向的な側面を有していたのである。

しかし、この思想を、自らの権力を固定化するための道具として目をつけたのが、後世の専制君主たちであった。紀元前2世紀、漢の武帝の時代、儒学者とうちゅうじょの献策によって儒教は国教として採用される。この国教化の過程で、儒教は本来持っていた批判精神や双方向性を排除され、法律と刑罰による徹底的な中央集権統治たる法家思想の本音を隠すための建前としてまとわれることとなった。

その結果生み出されたのが、「さんこう」と呼ばれる絶対的な上下秩序の教義である。「君は臣の綱、父は子の綱、夫は妻の綱」──この教義により、君主、父親、夫といった目上の者の権威は宇宙の絶対的な真理(天理)として固定化され、臣下、子、妻といった目下の者に対する一方的且つ無条件の服従が義務づけられた。孟子が説いた革命の論理は骨抜きにされ、「聖人が王になるべきだ」という理想は、「現に王である者が聖人である」という都合の良い逆転論理へとすり替えられた。道徳の学問は、こうして国家によるマインド・コントロールのシステムへと改造された。これが、東アジアを覆い尽くすことになる「呪い」の誕生の瞬間であった。

各国における変容の例

この体制教学化した儒教の呪いは、シナから漢字文化圏である日本や朝鮮半島へと輸出される過程で、それぞれの国の地政学的、歴史的条件と結びつき、さらに異形な変容を遂げていく。本連載の核心となる日本と北朝鮮の事例について、その変容の萌芽を先んじて呈示しておく。

日本──易姓革命の拒絶と「忠孝一本」への逸脱

日本に伝来した儒教、特に江戸時代に幕府公認となった朱子学は、日本の国情に合わせて「書き換え」が行われた。シナの儒教においては、前述の通り「孝」が最大の徳目であり、「忠」よりも優先される場合があった。また、天命を失った王朝が滅びる易姓革命は歴史の必然とされた。しかし、日本には「万世一系」という、神武天皇以来一つの血統が皇位を継承し続けているという独自の王権神話があった。そのため、日本の儒学者たちは、政権交代を肯定する易姓革命の論理を不都合なものとして徹底的に排除し、嫌悪した。

江戸後期の水戸学などに至ると、中国では別個、あるいは対立し得た「忠」と「孝」を完全に融合させる「ちゅうこういっぽん」という日本独自の教義が捏造された。親に孝を尽くすことと、天皇に忠を尽くすことは完全に同義であり、天皇こそが日本民族という巨大な家族の「総本家」「家父長」であるという解釈である。この歪められた儒教論理が、明治維新を経て教育勅語へと結実し、国家神道と融合することで、批判を許さない絶対的な「国体思想」へと変貌を遂げた。親を殺されても主君への不条理な忠義を尽くす武士道の倫理と結びついた日本の儒教は、シナのそれよりも遥かに烈しく、個人に逃げ場を与えない滅私奉公の軍国主義社会を完成させる原動力となった。

北朝鮮──朱子学的正統論の極限としての主体思想

一方、朝鮮半島における儒教の受容は、日本とは全く異なるベクトルで過激化した。李氏朝鮮(1392年―1910年)は、国家の全制度と思想を朱子学一色で塗りつぶすという、本家のシナをも凌駕する教条主義的な儒教国家を築き上げた。朱子学とは、宇宙の普遍的真理である「理」を徹底的に追究する学問であり、そこでは「何が正統であり、何が異端か」を厳格に区別する「名分論」が極限まで重視される。

この歴史的風土が、戦後の北朝鮮における「主体思想」の確立にダイレクトに流れ込んでいる。北朝鮮は形式的にはマルクス―レーニン主義の労働者国家として出発したが、その社会を駆動する精神性の基本は、李氏朝鮮時代の過激な朱子学そのものであった。「唯一の正理以外はすべて悪であり異端である」とする排他的な名分論。そして、首領を「親近なる父」と呼び、国全体を一つの血縁的家族集団とみなす家族国家観。北朝鮮の独裁体制は、共産主義という20世紀の衣服をまとった、東アジアで最も純度の高い、そして最も凄惨な「朱子学国家」の変形に外ならない。金一族の世襲がこれほどスムーズに受け入れられ、今なお鞏固に維持されている理由は、朝鮮半島の歴史が五百年以上にわたって培ってきた儒教的世襲や家父長制の記憶が、国民のマインドセットに深く刻み込まれているからである。

「呪い」の正体を暴き、個人の自立を取り戻すために

本連載のタイトルを「孔子の呪縛」としたのは、過去の歴史を単に冷笑的に批判するためではない。また、特定の国家や民族を蔑むためでも決してない。目的は、我々東アジアに生きる人間の内面に、今なお深く、執拗に突き刺さっている思考のくさびの正体を明確にすることにある。

私たちは、民主主義を手に入れ、自由を享受しているつもりでいながら、重大な局面においては、常に共同体の調和という名目のもとに、己の「私」を差し出すことを自らに強いてはいないか。権力者の理不尽な振る舞いに対して、「目上の者には従うべきだ」という内なる名分論によって、自らの怒りに蓋をしてはいないか。その内面化された思考回路こそが、かつて軍国主義や世襲独裁を許し、現代の生きづらさを生み出している「呪い」の本質である。

「呪い」を解くための方法は、それがいつ、誰によって、どのような目的で、いかにしてかけられたのかという歴史的計略の全貌を正しく認識することである。儒教が本来持っていた他者への敬意や自己の修養という美徳の側面を認めつつも、それが権力の道具として歪められた負の遺産を冷徹に分析していくこと。それによって初めて、我々は歴史の呪縛から解放され、真に自立した個人としての第一歩を踏み出すことができるのではないか。本連載は、その精神的解放のための試みである。次回からは、この呪いの源流であるシナにおける儒教の国教化と構造的欠陥について、より深く探っていく。