福島原発事故に関する刑事裁判で、今日東京電力旧経営陣3人に無罪が言い渡された。当然の判決である。

この記事は日本経済新聞社のオピニオンページ
日経COMEMOへの投稿からの転載です。

争点となっていた、津波対策の必要性を指摘したという元幹部の供述調書については、「会議で報告したのではなく、資料を配付しただけ」だというし、また国が出した「長期評価」ついても、当時は参考程度の情報と見なされ、「原発の安全対策を考えるのにあたって取り入れるべき知見だという評価を受けていたわけではない」のだから、これで原発を止めろという方が無理だろう。

筆者は現在製造業に勤めているが、この報道に接するに及んで、「安全対策は青天井だ」という上司の言葉を思い出さずにはいられない。これは、安全はそこそこにおざなりで済ませばよいという意味では勿論ない。製造現場では、一口に事故と言っても、生死に関わるような重大なものからニアミスと呼ばれるような軽微なものまで千差万別であるから、全ての事象に対策を考えていてはきりがなくなるということである。当然費用がかかるし、予算が無尽蔵にあるわけではないから、どこかで折り合いを付けなければならない。そのため製造業では、危険因子そのものをなくすのではなく、コストと有用性の観点からリスクを低減するとの考え方が基本となっている。

東電の旧経営陣にしても、大津波という当時としては起こるかどうか定かでなかった事象ゆえ、多大な費用や手続きをかけるには及ばないとの判断だったろう。下衆の後知恵で、最悪を想定して対策を講ずるべきだったという意見を時折見掛けるが、それは責任ある立場に身を置いたことのない者だけが言える戯言である。限られたリソースの中で、現実的な方策を取っていく。それが経営というものである。

明確な予見可能性が立証されていない以上、告発側の主張はひとえに結果論と言わざるを得ない。結果論でもって不作為を指弾して個人に刑事罰を科すのは、罪刑法定主義の観点からも問題がある。刑事裁判は個人の憂さ晴らしのためにあるのではない。