自称「リベラル」に関する話題には事欠かない日々だが、彼らの言動に接しているうちに、非主流派による現状変更の試みというのがその実態ではないかという疑念が最近頭を擡げてきた。

例えば、彼らはよく立憲主義を前面に押し出す。だがそれは、国家権力の制限という部分が彼らの反体制的な思想とたまたま合致しているからで、心の底から立憲主義を信奉しているわけではない。立憲主義というのは、人民が自然権に基づいて憲法により国家に制約を課すると同時に、人民はその国家の統治に服する義務を負うもののはずだ11. 日本国憲法第99条の「憲法尊重擁護の義務」は、公務員などを対象に特別に言及したものであって、国民の遵守義務は当然のこととして改めて明文化される必要がなかったというだけのことである。。ところが、先の新聞記者の不法侵入の例でも明らかになったように、公権力には「なんとかの自由」という拒否権を発動し、他の私人の権利を蹂躙するというのが彼らの常套手段である。

同様の事例は表現の世界にも見られる。平時に世人を挑発している連中が憎悪表現の規制をことさらに主張するのは、誠に笑止の沙汰と言うほかない。というのも、これは自身に対する批判を封殺するための口実であり、自分たちは表現の自由を理由に言いたい放題だからだ。この間も「#この指とめよう」などという茶番劇を演じていたが、その後過去の暴言を掘り返されて謝罪を強いられるという体たらくである。