「氏」と「姓」との違いについて
目下、日本では「選択的夫婦別姓」の推進が姦しく唱えられている。ところが、これも「同性婚」と同様、定義も理解せぬまま制度の変更を要求するという珍妙な現象なのである。
だいたい「夫婦別姓」という語自体が推進派の無智を証明している。本来これは「夫婦別氏」とすべきものである。姓と氏とは意味が異なるが、日本ではこの二つが混同されている。
漢和辞典によると、「姓」の定義は次のごとくである。
家族の系統の標識となる称号。11. 戸川芳郎監修、佐藤進、浜口富士雄編『全訳漢辞海』第四版、三省堂、2017年、364頁。
「氏」については次のようにある。
一つの姓から分かれ出た一族の称。22. 戸川芳郎監修、佐藤進、浜口富士雄編『全訳漢辞海』第四版、三省堂、2017年、791頁。
つまり、姓は血族、氏はそこから派生した家族集団を表すものと解することができる。
ところで、古代日本の氏姓制度における「氏」と「姓」は、上記の漢字の本義とはまた定義が異なる点に注意を要する。氏姓制度における「氏」は血縁集団を表す。すなわち漢字の本義における「姓」に相当する。「姓」は官職、朝廷との関係を示したものである。
徳川家康の正式名「源朝臣家康」を例にとると、「源」が氏、「朝臣」が姓を表す。これとは別に、家族集団を区別するために名字(苗字)を独自に付ける習慣があり、「徳川」がこれに当たる。すなわち「徳川」は漢字の本義における氏に相当する。
江戸時代まで、氏ないし名字を公に持っているのは貴族や武士などの特権階級のみであったが、明治以降は戸籍制度の整備に伴い、平民もそれまで通称として持っていた名字を正式に称することとなった。同時に、氏を持っていた階層も名字を使うようになり、血族を表す氏(すなわち姓)は取って代わられていった。こうした歴史的経緯から、日本人の名字は家族集団を表す氏としての性格が強い。元々日本の戸籍は、戸主を単位とした所謂家制度に基づいて編製されたから、氏が一つの家を表す標識として位置づけられたというわけである。本来異なる血統の出自である養子が養親と氏を共有するのも、以上の点から説明がつく。
中国や朝鮮ではフルネームを「姓名」と称するとおり、日本の氏名とは全く性質を異にする。すなわち、中国人や朝鮮人の名は血族たる姓を冠しているのである。日本で「選択的夫婦別姓」を推進する者たちは、中国や台湾、韓国で夫婦が別姓であることをよく引き合いに出すが、これは当たり前の話で、配偶者は姻族であって血族ではないという単純な理由によるものである。
保守的な年寄りのせいで「選択的夫婦別姓」が実現しない33. 「なぜ『陳情』なの?」、選択的夫婦別姓・全国陳情アクション、2018年11月22日(2023年9月2日閲覧)。と嘆く者らが、まさか今更血縁重視の儒教的な価値観を信奉しているわけはなかろう。「#自分の名前で生きる自由」を望むのなら、旧氏の使用ではなく、例えば皇族のように氏を廃して個人名のみにする、というのでなければ筋が通らない。主張とその理由とが全く噛み合っていないのである。
本籍は現在ほとんど形骸化しているが、氏は必ずしもそうとは言えない面がある。「山田さんちの花子ちゃん」という言い方は今なお普通に用いられるし、家族が今でも社会を構成する単位であり、子の出生や養育にも関わる点は変わらない。そうした権利関係を整理する上で、同じ家族に属することを示す氏が全く無意味であるとは言い難い。戸籍に代わる公証制度を設けるのも一案ではあるが、多大な労力を費やしてそれを実現させるのが合理的か否か。それは後の国民の判断である。
1. 戸川芳郎監修、佐藤進、浜口富士雄編『全訳漢辞海』第四版、三省堂、2017年、364頁。
2. 戸川芳郎監修、佐藤進、浜口富士雄編『全訳漢辞海』第四版、三省堂、2017年、791頁。
3. 「なぜ『陳情』なの?」、選択的夫婦別姓・全国陳情アクション、2018年11月22日(2023年9月2日閲覧)。