21世紀初頭以降、国際政治を論ずる際にしばしば用いられてきた言説の一つに、「アメリカはもはや『世界の警察官』ではない」という認識がある。この見解は、とりわけオバマ政権期に明確に表明された対外介入抑制の方針と、それに続く「アメリカだけで全ての問題を管理する能力はない」(ブリンケン前国務長官)という姿勢によって強化された。イラク戦争及びアフガニスタン戦争という長期かつ高コストの軍事介入に対する国内的反省は、アメリカ外交が一つの転換点を迎えたかのような印象を国際社会に与えたのである。

「アメリカ・ファースト」をお題目にするトランプ政権も、当初はその路線を継承するかに思われた。アメリカは諸外国の防衛にまで手が回らないとして、北大西洋条約機構(NATO)加盟国や日本、韓国などの同盟国に、応分の負担をするよう軍事費の増額を求めたことは記憶に新しい。ところが、今年に入ってからアメリカは、国際法違反との謗りをものともせず、ベネズエラ、そして最近はイランへと介入していった。

「『世界の警察官』の終焉」という理解は、果たしてアメリカ外交の構造的変化を正確に捉えていると言えるだろうか。今日のアメリカは、依然として「警察的機能」を担い続けており、むしろ別の形でそれに「復帰」しているのではないか。

筆者の立場は、アメリカが理念として「世界の警察官」を抛棄してきた点を否定するものではない。むしろ問題とするのは、理念の抛棄と機能の抛棄を同一視する議論である。歴史的に見れば、アメリカの対外行動は常に道徳的言説と構造的要請の緊張関係の中で展開されてきた。本稿ではその連続性を明らかにしてみたい。

「世界の警察官」という概念は何を表すか

「世界の警察官global policeman」という表現は、厳密な理論概念というよりも、冷戦後のアメリカの国際的役割を象徴的に示す比喩として用いられてきた。しかし、拙著『それはカリブ海から始まった』で扱った20世紀初頭のアメリカ外交史を参照すれば、この概念は決して新しいものではない。

それはカリブ海から始まった──アメリカ外交の原点
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